タイの寺院というは、もともと大した興味があったわけではなかった。
ガイドブックを見たり、タイの特集をやっているテレビを見たりしても、近代になって作られたコンクリで作られた金ピカの建物ばかりという印象で、古建築から醸し出される厳かさみたいなものを期待する自分が、そそられるものがなかった。
しかし、実際に見てみて、自分の見方そのものが間違っていることにすぐ気づいた。
老若男女が真剣に祈り、仏像に金箔を貼り、仏像の前では額を地につける・・・
奈良における自分は、最初から古建築を見に行くという大前提を持って訪ねていたし、拝んでいる人の数は大寺院を除けば少なく、静謐としていた。そして、まるで美術館に行くような感覚で建築を見て、歴史を体感しに行くというスタイルが染み付いていたように思う。
しかし、ここタイの寺院を目の当たりにして、「まず信仰ありき」ということを感じた。信仰する者にとって、建築がどうだとかは関係ないのだ。
タイでは、こちらから「ありがとう」と言うと、誰しも(特に女性と子供)が笑顔で手を合わせて「コプクン、クラップ(女性は「コプクンカー」)と言ってくれる。こういった「手を合わせる習慣」があるからこそ、人々は自然に寺院に寄進するのであり、このような豪華絢爛たる伽藍も成立することができるのである。
金色の塔の輝きは、そのまま人々の信仰の強さを表しているかのようだった。
日本では二つの塔がこれほど近距離に並ぶことはない。そびえる頂点のさらに先が結ばれる・・・ということを想像すると果てしない広がりを感じた。
宗教はいつも、視覚的な驚きをもって人々を異空間へ誘っていった。
巨大な仏像、ステンドグラスから射す幻想的な光、幾何学的な模様で敷き詰められたイスラム建築の内部・・・
風鐸が奏でる音が交じり合う中、ここでもそういった異空間を感じた。
超絶・・・この仏像が安置する領域にいると、まるで縦スクロールするシューティングゲームのボスキャラ(しかも最終面)が出てきそうな超絶さを感じた。
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