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ヤフオクで競り落したチケット片手に、『2001人芝居』を見に行って参りました。後から、当日券は結構入手しやすかったと聞き、ちょっとヘコんだのはここだけの秘密です。 という訳で、ネタバレ多数につき、観劇予定の方は御注意下さいませ。 正味1時間強。これなら、当日券立ち見でも充分OKだったかなぁというのが最初の感想。この作品なら、たとえ立ちっぱなしでも退屈したり疲れたりはしなかっただろう、という意味で。 この前観た『カノン』が個人的には大はずれ(<ひ、酷い)で、『農業少女』は見事にチケット玉砕・・・とあって、行く前からかなりネガティブな気持ちだったんですが。とりあえず、ヤフオクではたいた値段分(もちろん正価よりは少し高い)はしっかり楽しませて頂きました、という感じかな。 座席が意外と良くて、前から5列目の下手1番端だったというのも嬉しい誤算(出品者は「座席列は多分10番台後半」と書いていたのよ。この芝居、劇場に行くまで座席が判らないという変則的なスタイルを取っていたんだけど、まさかこんなに良い席に当たるとは・・・わざわざオペラグラス持参したけど全然必要無かった)。 見立ての鋭さと舞台の三次元的な使い方は、流石に天才、といった感じ。前後の動きの使い方が、他の演出家とは全然違うんだよなぁ。たった独りの演者とたった1つの小道具が、ただの四角い舞台の上でどんどん広がっていく様は、やっぱり野田秀樹ならでは・・・とうっとり。年齢を感じさせない身体表現も凄まじく、 「まだ飛ぶかー!」 と呆れ半分で堪能させて頂きましたです。個人的には、『鯨嫌い』で駆け抜けるシーンにびっくり。よく走るなー、四捨五入したらもう50歳なのに<おい。 “野放し”という言葉がぴったりの飛び跳ねぶりと、ぎゆーっと劇場全体の空気を吸い取っていく間の取り方も、さすが天才。収斂と解放の匙加減は、一人であるがゆえに自由自在で、そういった意味ではかなりの贅沢感でしたな。 お家芸の内輪ネタから始まって、最後に訪れる茫漠とした孤独まで、一気に雪崩れ込んだという感じでしょうか。最初、 「映像邪魔だなぁ、流石の野田秀樹も映像の助け無くば一人芝居は無理なのかい」 などとダークなコトを思いながら観ていたんですが、なるほどそのモニターがある意味での主人公でもありテーマでもあったのか、と得心が行ってからは、見事さに唸るばかり。五月蝿いほどのモニターのさえずりがあってこその、終局の砂嵐・・・という訳ですわね。ほうほう。 走り抜ける琵琶湖の霧が微笑い始める頃、 僕は、5本の指の谷間に4本の指を流し込んで、祈りの鋳型を造ると 残った小指で、永く永く君を想おう 15年前初めて観た野田演劇の終幕では、哀しいほどに輝く希望の船の上で手を延べる英雄の姿が、ガンガン炊かれたスモークの上で命を煌めかせていたんですが。英雄と別れ、眠り姫とも離れ、たった独りスポットを浴びながら暗闇の中で孤独を呟きつづける“彼”の姿は、経てきた年月と、その間に起こった“増殖”というコトバがよく似合うあるデバイスの急速な普及(=氾濫)を思わせ、帰り道地下鉄の中で独り呆然としたワタシ。どうしてここまで来たんだろう、何がここまで私達を押し流して来たんだろう、と、「どこに」という訳でもないのに帰りたい気持ちと帰れない切なさとに揺さぶられて、混乱したまま電車に乗って帰宅。劇場を出る時にはここまでごっちゃりとした感情の揺らぎは無かったのに、何故か後になってじわじわと効いて来ている気がします。 ・・・いや、もしかしたら、“効いて欲しい”と思うワタシの気持ちがこの感情の揺らぎを作っているのかも。最初に『半神』や『桜』を観た時の、とてもじゃないが席から立ちあがれないような全身複雑骨折並みの衝撃は無かった訳だし。うーむ。年月とともに、雑念抜きで芝居に没入出来なくなってしまっているのか、自分。それは辛い、辛いなぁ。 何せ『カノン』が『カノン』だった上にこのチケット払底状況で、雑念だらけの状態で観劇に臨み、髭だらけの野田を見て 「松尾かい」 とツッコんでしまったりしたワタシ。それでも今後も、『パンドラ』や『国性爺合戦』の奇跡を期待しながら必死でチケ争奪戦に乗りこんで行くんだろうなぁ・・・と、それはそれで自虐的になってみたりして。っていうか、会員登録してるのに6月の案内が来てないんですけど、それってどうなんでしょうか。 「もう1回見たいか」 と言われれば是非見たいし、 「いくらまで出すか」 と問われれば多分正規チケット代よりもちょい上乗せ位までは出してもちっとも惜しくない。ただ、 「10年先まで覚えているか」 と聞かれたら、多分覚えていないと思いますわ(おぉ、辛口ッ!)。 ちなみに、本日は松浦佐知子さんがダンナ様と一緒に御来場。 佐知子さんの周囲だけどこかで時が止まっちゃったんじゃないかと思うくらいお綺麗で、びっくり致しました。 |