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第一回日本推理サスペンス大賞優秀賞受賞作。 看板に偽りなし、とはこのことでしょう。読み始めたら止まらない、ぐいぐい引きずり込む筆力に圧倒されます。わたしゃ、しゃぶしゃぶ屋で鍋が煮える間を惜しんでページを繰り、同行者に無茶苦茶怒られてしまいました(笑)。 “看板に〜”と言ったのには、実はもう一つ意味があるのです。 この作品が受賞したのは、『推理サスペンス大賞』。決して、『推理大賞』・『ミステリー大賞』では無い訳です。ちゃーんと、“サスペンス”と入ってる。 巻末の解説でも、苦し紛れに「本書はミステリーの形式を踏まえたエンターテイメントである」と書いてありますが、これ、明らかにミステリじゃないぜ。 実に良く出来た心理サスペンスではあっても、推理の要素は一切入っていない。 この辺、間違えてもらっちゃ困るんだよなぁ。 『幸福な朝食』は、『日本推理サスペンス大賞』の、“サスペンス”の側面に於ける受賞作なのであるぞよ、あくまで。 何をこんなにセンシティブになっているかというと、世間に、ミステリでもないものに“ミステリ”のカヴァーを掛けるという愚行がまかり通っているから。 どうしてこんな莫迦げたことが起こるんでしょう? 理由はカンタン、勿論“ミステリ”とすれば売れるから。 だから、推理小説としては3流の本でも、もっと言えば、小説である、なんつっちゃ“小説”が尻尾巻いて逃げちゃうような酷い本でも、“ミステリ”というカヴァーをかけて書店に並べていた訳ですよ、こないだまでは。 ところが、この、“ミステリ”の拡大解釈がエスカレートした結果。明らかに他のジャンルの、しかしとっても優秀な作品が“ミステリ”として売られているという珍妙な現象が起こってきているんですな。例えば、最近大評判になった京極夏彦氏の一連の作品。あれ、明らかに“妖怪小説”でしょ?だって、解説に水木しげる氏呼んできてるくらいだし、その妖怪関係第一人者水木氏が「実にリッパな妖怪小説」と太鼓判押してるんだから。それを、一応殺人らしきものと探偵らしきものが存在するというだけで、“新感覚ミステリ”みたいな扱いにしちゃうっていうのは・・・。 ちなみにこの一連の小説、推理小説としては荒唐無稽のお笑いぐさですが、こと“妖怪小説”とすれば話は別。実に楽しいエンタテインメントなんでございますのよ。でも、これを“ミステリ”の枠内で評価しようとすると、ケチョンケチョンにせざるを得ないんだよな。すごく矛盾しているような気が・・・。 最近の傾向としては、 「ミステリじゃないけどいい出来で、ぜひ皆さんに読んでいただきたい」 という作品をむりやり“ミステリ”にしてしまう、というのが増えている感じ。 あたしゃ、柳美里さんの『水辺のゆりかご』あたりも“私小説ミステリ”になっちゃうんじゃないかとちょっとドキドキしてました(笑)。 こういうのそろそろやめようぜぃ。ミステリにとっても、小説そのものにとっても不幸だもん。 どうやって止めたらいいか、なんですが、これはもうカンタン。「ミステリじゃないけど上質な作品」を、読者側が買って読めばいい。んで、「ミステリって書いてあるけどろくでもない作品」を買わなきゃいい。 ところが、これが結構ムズかしかったりするんだよねー。大体、東京駅構内の本屋なんて、ミステリ(自称も含めて)しか置いてないもんな。ううむ。 何だかすっかり話がよじれてしまいました。 冒頭に戻りますが。 『幸福な朝食』は、実に優れたサスペンス小説でございました。480円でこの密度なら、 ちーっとも惜しくない。 コストパフォーマンス、今回は 95%
でございます。オススメよ。 |