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本日のお題は、『ララバイ・または100年の子守唄』。 鴻上尚史作・演出、筧利夫主演(<イヤミったらしいのう)、紀伊国屋サザンシアターでの公演でございます。観劇日は2000年2月11日。 実はワタクシこの舞台、すでに1月29日に1度見ているんですが。その時お連れ下さったがんこさんに無理を言ってチケットをお送り頂き、もういっぺん母親と見てまいりましたんですね。それ故、この文章は、八割方がんこさんへのご報告みたいなモノでございます。 最初に申しましょう。 石田ゆり子サン、29日に比べたら大分良くなってました。何せ2回しかトチらなかったんですから大したモノです。いえ、イヤミでも何でもなく。 『ハッシャ・バイ』の女1はともかく、“奈美”の部分は(キャラクター造形がテレビ的であることも含めて)かなりマシになっていたんじゃないかと思われます。相変わらずお手手はフラフラとしてましたが、まぁ29日のあの状態よりはよっぽど・・・と。 しかし、劇場を出るなりうちのおかんに、 「どうして石田ゆり子なの?」 と、思いっきり真っ直ぐな眼差しで問いかけられた時には、応えるすべも無く立ちすくんだワタクシではございましたが・・・。 旗島伸子サンは、29日から今日までの間に、何かを拾ったみたいです。 「たとえ囁いたとしても、きっとみんなワタシを見ていてくれる・聴いていてくれる」 という絶対的な自信、とでも言うんでしょうか。台詞回しに緩急がついて、存在に関して飽きさせる、ということがありません。確かにゆり子サンはお美しいですが、少なくとも芝居も半ばを過ぎると、旗島サンの方がずっと魅力的に見えてきます。それなりに華もあるし、ちょっと今後が楽しみな女優サンかも<不遜。 以前野田秀樹が羽野晶紀について、こんなことを言っていました。 「羽野は、『揺れ』を知っている役者である」 「揺れ」をもっていない役者は、いつもいつも舞台で正確に同じことをやる。確かに崩れることはないが、おもしろみがない。(中略)どんなに声が通り、まちがいなくセリフを喋っても、「ほんと、こいつ、つまんなそう」と思う。これが「揺れ」をもっていない役者である。 |