時間旅行


晩夏というのは、どうしてこんなにも、想いでの後姿を追い駆けるのに適した季節なんでしょう。半袖のシャツから出た腕が肌寒さを感じる頃、既に失ったものとこれから失うであろうものの影とが、夏の暑さに剥き出しになった心に纏わりつくせいなのでしょうか。

・・・すいません、ちと寝惚けております(笑)。

ま、元々寝惚けた夢から始まった話なんですけどね。
先日書いた、「中居クン登場のロマンティックな夢」というヤツに、17年前まで住んでいた街が出てきたんですよ。
懐かしい町に赴いたにしたにが、「この門を通れば懐かしい我が家だ・・・」とわくわくしながら門を通ると、そこに開けていたのは、綺麗に造成された見知らぬ街。で、泣き崩れるにしたにを何故か中居クンが慰めてくれて・・・という(笑)。

で。
突然夢に現れたのが気になって、17年ぶりに昔住んでいた街に行ってきました。

いやーびっくりしましたわ。
なーんにも変わってない!の!

いくら、一番記憶力が良いとされるコドモ時代に8年間暮らした土地とはいえ、17年前の話ですからね。明確に覚えていた訳じゃ無かったんですよ。いや、もう記憶が薄れてしまっているからこそ、あまりにも鮮明な夢の中の映像に驚いて今回の訪問を決めたんですが。
駅に降り立った瞬間、噴出する記憶。
だって、本当に何も変わっていないんだもの。
駅の階段も、(まぁ流石に改札は自動改札になってましたが)ホームのベンチも、駅前のロータリーも、よくマンガ雑誌を立ち読みした本屋も、土曜日によく食事をしたレストランも、自転車置き場の乱雑振りも、17年前のまま。
どきどきしながら歩いて行くと、駅前のアーケードも当時のまま。
「ああ、よくここのパン屋でクリームパン買って、塾の休み時間に食べたよなぁ」
「この電器屋サンまだあるんだぁ」
しみじみしながら歩を進めていくうちに、デジカメを忘れたことを痛切に後悔し始めまして。

家を出た時は、ここまで来るつもりは無かったんですよ。大体、活動を開始したの自体が昼過ぎだったし(笑)。
ぷらぷらと散歩をしている最中に、ふっと思い出して電車に飛び乗ったんですね。だから、何の準備も無い状態でして。

「この先にたしか写真屋があった筈なんだけど・・・」
はい、ありました写真屋さん。使い捨てカメラを入手して、歩く道々を激写ですわ。

通っていた小学校が駅前にあるので、そこから当時の通学路を通って昔の家に行って見よう、と。
学校の前の文具屋も、桜並木も変化無し。
「ああ、ここをふなつようこちゃんと唄いながら通ったよな」
「春にはアメリカシロヒトリがいっぱい降ってきたよな」
学校の敷地内に一歩踏み込むと、いきなり身中から噴き出すように蘇る記憶の渦で、何だか眩暈を感じるほど。
3年生になるまで登るのが怖かった、校庭の端の泥山。庭先の百葉箱。日本地図を浮かべた丸池。よく小坂くんが地図の上で飛び跳ねていて、私はいつも、池に落ちるんじゃないかとびくびくしながら見てた・・・。

一つ、何より驚いたのは。
本当に校庭が広かったこと。
ほら、自分がオトナになると、昔大きく見えていたモノも、実はそんなでもなかった・・・という事ってありますよね。
でも。
その後、いろんな学校でいろんな校庭に学びながら、ずっと“あそこが一番広かった!”と信じてきたその校庭は、記憶の中で増幅されデフォルメされたイメージの産物ではなく、本当にメチャメチャ広かったんですわ。大人の目から見ても、やけに広い(笑)。
ちなみに、帰宅してかーちゃんにこの話をしたところ、「それはアンタがあまり発育してないからじゃないの」と一蹴されてしまった(涙)んですが。

学校の先に老人ホームがあってね。ここは、マンション形式の高級ホームと養護系のホームとが、一つの大きな敷地内にあるんですわ。で、その敷地の中を通って行くと、学校までの近道になる訳。
親には、あそこを通っちゃいけませんとは言われて居たんですが。
毎朝通る小学生に、入園者の皆さんはとても優しかったし、施設の性格からこの敷地の周りには高い壁が張り巡らせてあって、その外を迂回して通学する方が、人けが無くって怖かったんですよ。
丁度夕食前だったため、調理室から漂ってくる匂いも・・・オソロシイほどに、昔のまま。

夢に出てきたのは、この老人ホームの、家側に通じる門だったんです。
門を通過すればすぐに家、の筈なのに、夢の中では、眼下におもちゃの町のような新興住宅街が広がっていて・・・。
駅からたかだか7分程度しか歩いていないのに、何故かにしたに、汗ぐっしょりになってまして。

門を。
抜けたら。

こんなに・・・狭かったっけ?というような細く短い道が、それでも記憶通りの配置で目の前に開けてました。
確かに、確かに私が17年前まで住んでいた場所。

思っていたよりもずっと小さかった私の(元)家は、別の色で塗装され、庭も完全に潰され、殆ど原型をとどめてはいませんでした。でも、その両隣のおうちは、表札で知る限り、住んでいる人も外見も、まったく昔のままで・・・思わず、「こうちゃん居る?あいちゃんは?」と、お隣にあがり込んでしまおうかと夢想してしまいました。
それが幸いなのか不幸なのかはともかく、夏の夕暮れ時、旧居の周りには誰も人が居らず、母曰く“ちっとも発育していない”この私が、だれか近所の人に発見されることは無かったんですけどね。もし誰かにあって、その誰かが全く変わってなかったら・・・コワイ。

“想いでさがし”というより、自分だけを残して、環境がまるまるタイムスリップしてしまったような。
あまりの変化の無さに、感慨よりもむしろ、驚愕と恐怖に近いものを覚えてしまいました。こういう状況には、適度な変化を見つけては「昔は確かあそこにはあれがあって・・・ああ、もうあの店も無くなってしまったんだ・・・」と呟く、というシチュエーションこそが似合い。何もかもが、ぴたりぴたりと記憶のジグゾーを組み上げるように填まって行く様は、ちょっとしたSFみたいでした。

本来ならこういう事を書いた時には、「昔の私と今の私」に関するちょっと洒落た講釈なんぞを垂れると格好がつくのかも知れません。
でも、にしたに正直言って、いまだに混乱しております。

東京駅から、直通の普通電車で約1時間半のこの街には、いったいどんな磁力があるのでしょうかね。これだけ変化を拒みつづける街ってのは、ちょっと怖い気がしないでもありません。
現在の地元は、やたらと店が乱立しては潰れてゆく、せわしない街。
ここがとても気に入ってる・・・とまでは行きませんが、17年間無変動の街から戻ってきた時には、何故か深く深く深呼吸してしまったにしたになのでした。

  

  


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